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きまぐれにつづったヒトリゴトです。 お暇な時間のお供にどうぞ‥

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カサブタ事件
子供は、いつもどこかしらに傷を作って帰って来る。
ひとしきりバンドエイド、バンドエイド‥と大騒ぎするも、あっという間にカサブタとなり、治ってしまうけど。
子供のカサブタを見ると、まだシンが幼い頃の出来事を思い出して、一人笑えてしまう。
それは、まだシンが3歳の頃の出来事。

転んで腕にちょこっと傷ができたんだけど、それがカサブタになった頃、どうしてもカサブタを取ろうとしないシン。
私は、カサブタは取ってしまいたいのに、まあ、いつか取れるよね~と放っておいたら、ある日の風呂上り、カサブタが半分取れ始めてきた。
これは、もう取るしかないと、ピッと取ったら、シンは火の付いたように怒り始めてしまい、ちょっと後悔してしまった。
傷口もほとんど乾いてたし、自然にカサブタの取れる頃だったと思うんだけど、あまりに怒るもんだから、困ってしまって、「じゃあ、もう一回戻そうね」と取れたカサブタを、唾でペタッと貼り付けてやった。
それで納得したシン(笑)
何事もなかったかのように寝てしまった。
翌朝、あのカサブタどうなったかなぁ~見てみると、なんと、傷口とは全然違うところに貼り付いていた!!
いっそ取れて無くなってしまってればいいのに、別の場所に貼り付いているもんだから、シンは慌ててそれをはぎとって、また、元の傷口に戻してしまった~~
あまりの可笑しさに、だんなと大笑い・・・
でも、そのカサブタは、もうカラカラに乾いていて、使い物に(?)ならなかったけどね~

こんなカサブタにまつわるエピソード・・
子供たちが傷を作って帰るたびに思い出す。
当の本人は、全く覚えてないので、こんなことがあったのよ~~と話してやると大喜び♪
いつの時代の子供も「小さい頃にこんなことがあったのよ~的」な話って大好きよね。
ふとした時に思い出す些細なエピソードは、忘れないようにメモってる私。
何かの時に、話してやろうと思って・・・
「カサブタ事件」これも、メモってる話の一つであります。
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2005.12.7の日記より
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我が家に、ド~~~ンと大きな雷。
子供たちが寝る前に、落雷発生。

いつまでたってもしようとしない時間割。
筆箱を覗くと全く削れてない鉛筆。
思えば、自分から進んで鉛筆を削ったことなんて、今までになかった息子。
もおっ~~~限界。。。

「いつになったら自分から出来るのぉ~~~!!」

ポ~ンと筆箱を投げ飛ばし、あとはひたすら無視を決め込む母。
あ~またやってしまった。

我が家には、たまに大きな雷が落ちます。
主人が単身赴任となって以来、あまり怒ることなかったのに。。。
やっぱり主人がいないと、子供たちの逃げ場がないと思い、怒らないようにしていたのに、数ヶ月ぶりの落雷だわ。
怒るのって、パワーを使う。
今日は、早く寝ようっと。
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こんな雷の日がまたまた到来。
今回は、兄シンと妹ミィの2人にド~~~ン!!
ミィは、怒られるとすぐに半べそをかく。
ジッと私を見たかと思うと、途端にウルウルと目に涙いっぱいためて、ポロッ・・
怒り心頭の私は、一言・・

「泣いてもダメ!!」

でもミィは、ポロポロ涙を流しながらこう言った。

「でも、お母さんは忘れんぼさんだから・・」

そうだったね~
いつだったか、こんなこと言ったっけ。

 いつもいつも怒ってるお母さんって、いやでしょ?
 だから、すぐに忘れることにしてるの・・
 でも、悪いことしたら、また怒るよ~

そうなのよ~お母さんは忘れんぼさん。
こんな怒り心頭の時にミィにあんなこと言われ、思わず笑ってしまった。
そんな私を見て、2人とも思わず笑みがこぼれた。
やっぱり、怒ってばかりじゃだめ。
忘れんぼさん・・結構いいかも。

お母さんは、今日もまた「こら~」と怒る。
・・で、またすぐに怒ったことを忘れる。
忘れんぼさんだから・・。

九九
先日、長男の小学校の参観日があった。
授業は図工・・絵の具を使って孔雀を描く・・というものだった。
なかなか、細かく指導されてて、ちょっとビックリ。
筆の使い方から、色を変える場合の筆の洗い方、水の含ませ方やら、色を塗っていく手順まで・・。
自由に描かせればいいのに~~と最初は思ったけど、先生の言っていることをよく聞いてみると、
一々細かくっていうのとはちょっと違って、それぞれの段階でのコツを分かりやすく説明されてる・・
みんなパレットも上手に使っていたしね・・。
毎日、図工があって、しょっちゅう絵の具を使うのだったら、自分でコツをつかんでいくだろうけど、
図工ばっかり時間取るわけには行かないし・・。
この低学年の基礎が高学年でどう生かされていくか・・
小学校6年間の壮大なる教育期間って、すべての科目において、
基礎、展開、応用と、緻密に計算された教育システムなんだなぁ~と、改めて、今の大切さを感じたよ。

さてと、そんな2年生の長男・・最近、九九を習い始めた。
昔私たちが習った九九は、とにかく2の段から9の段までの丸暗記だったけど、今は違うらしい。
特に今年から、九九の教育システムが3段階(・・4段階だったカナ?)に分けられてて、
とりあえずは掛け算のしくみをしっかりと習った上で、5の段までを習い、
「○個の固まりが○個分」っていうのを習得・・
その上で、例えば、「3×6=18」と「6×3=18」は全く違うものだけど、
4の段までをしっかりと習得していれば、必然的に6の段以降は応用できる・・簡単に言うとこういうものらしい。
まあ、なんだかんだと言っても、家でそんなに上手に教えるなんてこと出来ないから(少なくとも私には出来ん・・)
そんなシステムを知らない親は、とにかく暗記しろ~と、口うるさく言うんだわ~
私なんて、知ってても、とりあえず暗記しろ~って言うよ・・きっと。。。
だって、経過はどうであれ、九九は一生付いて回るとっても便利な計算方法・・
しくみなんて、とりあえず暗記しておけば、そん時わかんなくても、いつの間にやら理解してるもんだからね。

かく言う私は、当時、九九を丸暗記したものの、全く意味がわかってなかった。
多分、今の子供たちもそんな子がいっぱいなんだね~
丸暗記の前に、もっと奥まで掘り下げて理解させる・・・その上での丸暗記。
私も今の教育だったら、もうちょっと賢くなってたかしらん?!

ミィ行方不明
その日、仕事を終えて帰った私は、疲れのため、イライラしながら夕飯の準備をしていた。
そんな私の周りをまとわりつくミィに、
「ちょっとあっちで遊んで!!」・・とどなる私。

ふてくされたミィは、隣の部屋へ行き(・・多分)遊んでいたはずなんだけど、
あまりの静かさにちょっと様子を見に行くと・・あれっ?? いない。
玄関には靴もあるし、外には自転車もある。

そっかぁ~~~シンのシステムベッドに隠れてるんだ~と覗き込んでも・・・いない。
名前を呼びながら、探すこと数分。

ガタッと汗グッショリのミィが私の前に飛び出して来た。
・・ププッ(^m^) 怒られたミィは、いじけて廊下の物入れに入り込み、いつまでも私が探しに来ないもんだから、
なんとそのまま寝てしまったそうで・・・。

イライラだった私も、すっかり笑いこけた事件だった。

心の準備がぁ~~
先日、私の実家に子供2人連れて泊まりに行った時のこと、
お風呂に入ろうと準備していたら、
娘のミィが「お母さ~~ん・・」と泣きそうな声でやって来た。
どうしたのかと思ったら、下着のパンツに血が付いていると言う。
えっ??? その時の私の驚きと言ったら・・・ちなみに娘は5歳。
いくら最近の子供は早熟だといっても・・いくらなんでもこんなに早く・・
えっ~~~?!どうやって説明しよう・・
アタフタとする私・・その横で一生懸命にお股を覗き込んでいるミィ・・
思わず、私も一緒に覗き込み・・
あれっ?? 何やら傷が・・・
◆Read More◆

「ママ」への想い
私は、結婚して子供が出来たら、
絶対に「パパ」「ママ」と呼ばせようと思っていた。

長男シンが生まれて、約一年後、言葉をしゃべり始めた・・
もちろん、私たちは、紛れもない「パパ」と「ママ」
そして、親である私たちのお互いの呼び名も「パパ」「ママ」に変わった。

それから、2歳になる頃、なぜかシンは私の事を「お母さん」と呼び始めた。
いくら「ママよ・・」って言っても、なぜか「お母さん」と呼ぶ。
それでも、パパは「パパ」だったのに、いつの間やら「お父さん」に…。
周りの友達も「パパ」「ママ」と呼んでいたシンが、
なぜ「お父さん」「お母さん」に変えたか不思議がり・・
いまだに、その謎は解けていない。

その後、シンが2歳4ヶ月の時に、長女ミィが生まれた。
私は、この子には絶対に「ママ」と呼ばせようと決めた。

「ほら、ママよ~」「ママにちょうだい・・」「ママ・・・」「ママ・・」「ママ・」
でも、10ヶ月の頃、ミィが初めて私を呼んだ言葉、それは「かぁか」・・・

その瞬間の私のショックといったら・・

お兄ちゃんが私を「お母さん」と呼ぶ姿と、私が自分を「ママ」と呼ぶ姿・・
妹はお兄ちゃんの姿を見て育ったのだ。

言葉もあんよも早かったミィ・・
しばらくはめげることなく「ママ」を連呼する母だったけど、
ミィは、いつでもどこでも私を「かぁか」と大声で呼んでいた・・
周りの笑みをかいながら…。
ミィが生まれて、努めて「ママ」を連呼した私の努力は報われなかった。
私の「ママ」への想い・・娘の子供に託すことにしようと思う。

その後、私たち夫婦のお互いの呼び名も
「お父さん」「お母さん」に変わることになった。

父・・
平成16年11月7日、私の父が亡くなった。

腎臓がんを患い、片方を摘出するも、骨への転移・・気づいたときには、もう手遅れ状態。
それでも、手術に耐え、痛みに耐えての闘病生活、一年余り・・
最期は、穏やかに眠るように逝った・・・とのこと。
実は、最期のその時、そばにいてあげられなかった娘の私。
いまだに、間に合わなかった一時間、そのたったの一時間が悔しい。

当時、私は、幼稚園のバザーの役員。
リーダーとして、いろいろな取りまとめ、係が集まっての手作り品製作と頑張っていた。
バザー前々日、父の様子が気になりながらも、
持ち直して今は落ち着いているからとの母の連絡で、
バザー前日の準備に行き、当日も大丈夫・・との話で、安心してバザー当日を迎えていた。

その後、容態が急変…連絡を受けたのが、バザーも終了の頃、
急いで病院へ向かったのだが、
その車中で「たった今、眠るように息を引き取った」との弟からの連絡。
最期には、間に合わなかった。

痛みとの闘いだった父の一年。
亡くなってしまったのは、本当に寂しくて悲しいけど、
冷たくなった父の穏やかな顔を見ていたら、
もう苦しまなくていいね・・楽になったね・・と心から思った。
痛みに耐える姿をずっと見ていたから・・。
でも、最期の最期で、親不孝をしてしまった娘…
今も遺影を見るたびに、ごめんね・・と語りかけている。
多分、この先もずっとずっと心から離れないと思う。

今思う、親孝行したい時には親はなし・・これって、確かにその通り。
でも、最期のその時を一緒にいてあげる…それが「最後の親孝行」なんだって。
何があっても、絶対にそばにいてあげなくちゃ・・絶対に。
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