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きまぐれにつづったヒトリゴトです。 お暇な時間のお供にどうぞ‥

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「ママ」への想い
私は、結婚して子供が出来たら、
絶対に「パパ」「ママ」と呼ばせようと思っていた。

長男シンが生まれて、約一年後、言葉をしゃべり始めた・・
もちろん、私たちは、紛れもない「パパ」と「ママ」
そして、親である私たちのお互いの呼び名も「パパ」「ママ」に変わった。

それから、2歳になる頃、なぜかシンは私の事を「お母さん」と呼び始めた。
いくら「ママよ・・」って言っても、なぜか「お母さん」と呼ぶ。
それでも、パパは「パパ」だったのに、いつの間やら「お父さん」に…。
周りの友達も「パパ」「ママ」と呼んでいたシンが、
なぜ「お父さん」「お母さん」に変えたか不思議がり・・
いまだに、その謎は解けていない。

その後、シンが2歳4ヶ月の時に、長女ミィが生まれた。
私は、この子には絶対に「ママ」と呼ばせようと決めた。

「ほら、ママよ~」「ママにちょうだい・・」「ママ・・・」「ママ・・」「ママ・」
でも、10ヶ月の頃、ミィが初めて私を呼んだ言葉、それは「かぁか」・・・

その瞬間の私のショックといったら・・

お兄ちゃんが私を「お母さん」と呼ぶ姿と、私が自分を「ママ」と呼ぶ姿・・
妹はお兄ちゃんの姿を見て育ったのだ。

言葉もあんよも早かったミィ・・
しばらくはめげることなく「ママ」を連呼する母だったけど、
ミィは、いつでもどこでも私を「かぁか」と大声で呼んでいた・・
周りの笑みをかいながら…。
ミィが生まれて、努めて「ママ」を連呼した私の努力は報われなかった。
私の「ママ」への想い・・娘の子供に託すことにしようと思う。

その後、私たち夫婦のお互いの呼び名も
「お父さん」「お母さん」に変わることになった。
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父・・
平成16年11月7日、私の父が亡くなった。

腎臓がんを患い、片方を摘出するも、骨への転移・・気づいたときには、もう手遅れ状態。
それでも、手術に耐え、痛みに耐えての闘病生活、一年余り・・
最期は、穏やかに眠るように逝った・・・とのこと。
実は、最期のその時、そばにいてあげられなかった娘の私。
いまだに、間に合わなかった一時間、そのたったの一時間が悔しい。

当時、私は、幼稚園のバザーの役員。
リーダーとして、いろいろな取りまとめ、係が集まっての手作り品製作と頑張っていた。
バザー前々日、父の様子が気になりながらも、
持ち直して今は落ち着いているからとの母の連絡で、
バザー前日の準備に行き、当日も大丈夫・・との話で、安心してバザー当日を迎えていた。

その後、容態が急変…連絡を受けたのが、バザーも終了の頃、
急いで病院へ向かったのだが、
その車中で「たった今、眠るように息を引き取った」との弟からの連絡。
最期には、間に合わなかった。

痛みとの闘いだった父の一年。
亡くなってしまったのは、本当に寂しくて悲しいけど、
冷たくなった父の穏やかな顔を見ていたら、
もう苦しまなくていいね・・楽になったね・・と心から思った。
痛みに耐える姿をずっと見ていたから・・。
でも、最期の最期で、親不孝をしてしまった娘…
今も遺影を見るたびに、ごめんね・・と語りかけている。
多分、この先もずっとずっと心から離れないと思う。

今思う、親孝行したい時には親はなし・・これって、確かにその通り。
でも、最期のその時を一緒にいてあげる…それが「最後の親孝行」なんだって。
何があっても、絶対にそばにいてあげなくちゃ・・絶対に。
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